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2017年9月22日金曜日

阪神の旧線跡 2/2

そして、さいきん、もう一箇所、気になる旧線跡を見つけました。
神戸市の春日野道付近地図上で気づいたのですが、概ね方眼の区画になっているなか、一部に斜めの道が走っています。
それを見たとき、神戸市内地上線だった時代、終点三宮駅の手前で線路が斜めにクランクしていたことを思い出しました。
生田川のちょっと東、春日野道-新生田川(新川、生田川との表記もあり)間です。照合すると、まさにぴったりその位置です。
いちおう現況も見ておくべきと、現地へ行ってみました。

目標の斜め道は、大安亭市場を横切っていることから、大安亭市場から接近することにしました。
意外なほどの活気と旧態に誘惑されながら南下し、到着しました。

細い路地です。北側の住宅地も線路敷地だったようです。

しばらく路地を進みます。

駐車場に当たり、すぐに東西の道路に合流します。

今来た方を振り返ります。
線路曲線の膨らみだったことが、歩道部分の幅の違いでよく分かります。

この急曲線を、ポール姿の1形〜831形あたりまでが、車輪きしませて行き交っていた!

ここから線路はまた西に向かい、生田川を渡ります。

もういちど市場に戻り、

市場から大阪方面を見ると、ここだけ、商店とマンションの境界線だけ、斜めになっています。
この先には痕跡はないようでした。

古い地図をみてみると、

阪神開業前の地図では、斜め道も、いちおう主要道のようです。
1895年発行

まだ開業前、区画整理で廃道になったのか、その道路は消えます。
1902年発行

阪神が開業、しかし当初、斜め区間は専用軌道のように描かれています。
廃道利用の軌道敷だったのかもしれません。
1913年発行

ここにきて、併用軌道として描かれるようになりました。道路の復活です。
1920年発行

路線変更し地下に潜り地上軌道は剥がされ、道だけになりました。
阪神急行はまだ予定線となっています。
1935年発行

そして現在、細い路地として生き延びています。
上記の経緯とおりだとしたら、阪神が敷かなければ、現在の斜め道もなかったのかもしれません。

阪神の旧線跡 1/2

7年ほど前、アポロ氏に解説されながら、阪神石屋川-西灘間の旧線跡を歩きました。
かの有名な、43号線に取られた線路です。1967年に移設高架化ですから、今年は旧線化50周年です。

まず手始めに、甲南漬武庫の郷という展示館に入り、甲南漬の歴史を学びました。
商売戦略上からか、展示館の出口が売店になっているので盛大に出迎えられ、
場の雰囲気からか、アポロ氏は甲南漬の何かを買っていました。

石屋川車庫を離れると、

複線幅の浜田公園になり、公園が終わると43号線に当たります。

ここから43号線をしばらく西進し、すうっと少し北向きに離れるように再び旧線跡が出現します。

公園がしばらく続いたあと、西郷小学校に突っ込み、都賀川を渡ります。
鉄橋のあった護岸の間知石積は、橋台撤去部分が白っぽく新しいことがわかります。


都賀川を渡るとすぐに、幅員の広い大石駅跡、

またしばらく複線幅の公園が続きます。

公園が途切れ、分譲住宅が建った部分のすぐ西で現本線に合流します。

YaYo氏によると、阪神大震災で高架損傷が大きかったこの区間の仮復旧に、旧線跡を利用することも検討されたそうです。
一時的とはいえ、それこそまさに復旧です。