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2018年5月1日火曜日

4.1以降の大阪地下鉄

2世代前?の旧掲示が、けっこう残ってるという話を聞いていたので、
今のうちに見ておこうと思い、探してみました。

東梅田


本町

なんば

南森町・メトロと旧アサヒビールと

西長堀

長堀橋

野田阪神・新掲示とジェットカー


こうしてみてみると、旧掲示は前回までの掲示更新をパスした民間ビルや私有地の出入口ばかりです。
1933年制定から85年続いたコ○としては、細かいところではまだまだ生き続けそうです。

そして最後に、谷九。


なんだと民営化だと?
民営化も、ネオリベも、さらにはネオコンも弾き飛ばしてくれそうです。
空気をも商品化させる勢いの生存戦争世界から外部世界へ!
みんな仲よくこっちへ逃げなさい、と頼もしい防波堤のように見えたのでした。

2018年3月6日火曜日

VANの伯父さんは岡電パンタ

1951年
石津龍輔氏、岡山電気軌道第6代目社長のとき、石津式パンタクラフ考案。
1951年
石津謙介氏、大阪市南区北炭屋町14番地に石津商店を設立、のちのVAN JAC=有限会社ヴァンヂャケット。現・アメリカ村の原点。

いわずもがな画期的・岡電石津式パンタクラフと、

戦後ファッションの圧倒的先駆・VAN JACは、

1951年、同時に出現したのである!

しかも、どちらも岡山の石津さんです。
まったく異世界のお二人ですが、ふと気になって、「岡山の石津」で調べたところ、あっさりと簡単につながってしまいました。
なんと、パンタの石津龍輔氏はVANの石津謙介氏の伯父だったのです。
パンタ龍輔氏はVAN謙介氏をたいへんかわいがっていたそうで、少年期のVAN謙介氏はタダで岡電を乗り回していたらしいです。

またさらに、VAN謙介氏の兄・石津良介氏は、密かにマルクスを愛した文学・映画青年であり、柳田國男、土門拳らとも関係のある写真家だったのです。こちらは、pan良介氏と言えましょうか。


VANは、銀座・みゆき族の求心的ブランドとなり、

のちに日航や国鉄の制服もデザインしたとか。


そして、石津式パンタは、いまでも岡電のアタマに載っている。



土門拳に毎度震撼、

遠野物語に戦慄せしめられ・・

岡電3005に乗りたいなとぼんやり考えながら、

古着のVAN JACを羽織って散歩に出てみるに、

結局のところ、わたくしいち平地人にとって、
ここに挙げたお名前、すべての!みなさんは、
「うん、いまだにVanguardであることはたしかである」


2018年2月13日火曜日

阪急6112と5113

少し前、キミたちはここで会っていた。
17.11.13宝塚
「名前の数字を足すと10になって、おたがい一緒だね!」なんて言い合いながら。

その後しばらくして、
キミたちはこんなところで、また会うようになっているみたいだね。
18.2.11伊丹
「奇遇だね〜」
「キミはずいぶんと名前が大きくなったね」
「いやでも、短くなっちゃって」
「それはぼくも同じさ。まあでも、ぼくはまた戻るけど・・」

C#6112は、
C#6162に。

C#6612は、
C#6692に。

それはそれで驚きましたが、彼はどうなるのでしょうか!

2018年1月17日水曜日

23年目の1.17に

はたして、ほんとうの復興は?
いつの、どこの、災害でも・・

落下した国道171号線撤去完了後に、西宮北口-門戸厄神間が単線開通しました。
門戸厄神駅 95.1.20

上りホームは復旧工事中、下り線使用の単線開通のため、上り列車は「逆行」となります。
門戸厄神駅 95.1.20

駅の北側踏切付近では、脱線した3072*6が分割されてしばらく留置、その先には落下している山陽新幹線が見えます。
門戸厄神駅 95.1.23

山陽新幹線は市内数カ所で落下、
西宮市上大市 95.1.23

阪急今津線線路上にも落下したため、門戸厄神-仁川の復旧は遅くなりました。
西宮市上大市 95.1.23

一方JRでは、しばらくすると、福知山線経由の九州寝台特急が設定されました。

臨時特急[あかつき]81号
大阪駅 95.3.21

臨時特急[なは]81号
大阪駅 95.3.21

2017年11月15日水曜日

阪急6150の顔

なぜか、6150が来ると遠方からでも判別できてしまう。
6050ならパンタがないのでその理由も単純なのだが、神戸方の6150が、である。



もちろん、車番の読めない遠方である。
7000系とは何かが違う。
長年なぜなのかはっきりとせず、ずっともやもやとしていたから、真剣に探ってみることにした。
一応の結論は、これである。

1.車番位置が低い。
2.次車にパンタがない。
3.自連であり、中間体箱がない。
4.クーラーが前方に寄っている。

3.4に関しては、7000系の一部にも言えることなので、つまり、1から4が複合的に混ざり合って一種独特の雰囲気を作っているのであろうということだ。
しかし、なにかまだ釈然としない思いが残っていた。もっと大きな原因があるのではないかということである。
そこでふと、7000は鋼製からアルミ製に変更されたこと、その際に車体幅が30mm拡張されていることに注目した。
わずか3センチの拡幅だが、見てくれにどのような差があるのだろうかということである。
意識してみると、明らかに違うではないか!
幅30mmの差ということもあるが、前面屋根端のR関係が明らかに違う。
幅以外の図面上の数字は知らないが、屋根中央および屋根端Rも違うからなのか、屋根中央Rは同じとして30mm拡幅のため屋根肩R位置が少し下がったからなのか?
下の2枚の写真を見比べてみよう。アルミ製7122と鋼製7100である。



比較のために撮ったものではないが、1/100秒差?くらいの偶然で、10分の時間差(連続の特急だから)、ほぼ同じ角度同じ位置で撮影している。
まず、7122のふっくら感がお分かりいただけるであろうか。確かにふっくらしているのに加え、屋根Rのこんもりナデ肩感。
もう一方、7100はどうか。7122に比して、スリムでしゃきっとしたイカリ肩的な屋根Rということがよく分かる。
5000と5100ほどの違いはないものの、である。
さらに言えば、屋上への前面ステップの位置を最上段で比較すると、7122は7100より下がっている。

まとめてみよう。6000.2200と鋼製7000の寸法は全て同じだろうと思う。
つまり、もうひとつの重大要因、

5.鋼製とアルミ 製では、幅30mmおよび屋根R関連が異なる。

これがなければ、6150の決定的雰囲気は出ないのだ。
1から5の要因すべてが揃ってこそ、6150の雰囲気なのである!
模型でこの差を忠実に出せるかな・・

2017年10月27日金曜日

腕木式方向指示器14

バイクや小型自動車に多く使われる小型機械式は有名メーカー以外にもかなりあり、興味は尽きませんが今となっては氷山の一角しか残ってないのでしょう。
今回のものもその一つで手元にある一本は指示矢が破損してて、セルロイドも無くなってますがケースは比較的綺麗です。


ネームプレートはSを大きくデザイン化したShinkoと読めます。
下のKUME-WORKSはメーカー名でしょう。


本体に指示矢のロック機構は無く、バネで下げ位置に戻すようになっているだけです。これはニッポーと同じくオペレーター側でロックする方式です。



電球の口金はネジ式(エジソンスクリューやエジソンベースと呼ぶらしい)自転車用腕木式以外で見るのは初めてです。振動で緩むおそれか自動車用腕木式方向指示器のJIS規格には適合しません。

背面下部の大きな丸穴は指示矢の緩衝ゴムが付いていたのでしょう。

ケース長さ約200mm、アポロやニッポーの小型とほぼ同寸です。






2017年10月15日日曜日

腕木式方向指示器13

JIS規格ではD5702に自動車用腕木式方向指示器の項目があり、写真の物は昭和32年改正版ですが、昭和26年10月31日に制定されてるようです。
D5702は昭和46年10月1日に廃止されてますが、その間何度か改正があったとおもわれます。



ネームプレートにも描かれてます。

本体に誇らしげにプレスされてるものも。

ニッポーの指示矢も認定後はJISマークの刻印が追加されてます。
アポロのネームプレートにもマークの表示はありますが、同時期の製品にも有無が混在してたり、後期の生産分には付いてなかったり、不明な点もあります。詳しい事情はわからないので、掘り下げるのはやめときましょう。



昭和29年頃の雑誌広告、JIS規格品を主張してますね、信頼の証なんでしょう。




細かい字が見えづらいかもしれませんが全文を掲載しときます。

腕木式方向指示器は昭和48年7月の運輸省令23号「従来の腕木式…中略…方向指示器は点滅式に統一する」で廃止されてますが「昭和48年11月以前の生産車両については腕木式方向指示器を認める」の一文もあり、今でもそれに該当する車種は腕木式のみでも車検に通ります。