しかし、政権を批判対象にするということは、政権の体制構造を肯定することにもなります。
体制はしょせん、人間が決めた、けっして普遍的ではない、とりあえずの「決まりごと」です。
JR体制もそうです。
スマホアプリみたいなもので、削除の対象です。古今東西そういうもんであると歴史で習いました。
一方、この「場所」のほうが、ずっと普遍的であり、ずっとここにあります。
民営化私物化奴隷化・・資本主義グローバリズムは、地球上のあらゆる「人」「物」「場所」をカネという交換価値に替えて食い尽くします。
吉田拓郎「シンシア」最初のフレーズを思い出しました。
どれだけの駅と駅前が・・。
場所性を無視して、とことん「ニッポン国土」を破壊し続ける体制じしんが、学校でなぜか「愛国心」を説いているらしいです。今の体制を愛しなさい!という悲鳴のようです。
未成年には体制愛強制注入授業を、成人すべての人間には体制に服従させる法律を。
愛国=愛郷を本来の意味とするならば、
本日は、愛国=反体制ということがだれにでも分かるようになった日といえましょうか。
と、梅雨らしいですがいいお天気のもと、
ぼんやりとこのようなことを、
何の行動計画もなく!ひとりで!思っていました。