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2017年11月15日水曜日

阪急6150の顔

なぜか、6150が来ると遠方からでも判別できてしまう。
6050ならパンタがないのでその理由も単純なのだが、神戸方の6150が、である。



もちろん、車番の読めない遠方である。
7000系とは何かが違う。
長年なぜなのかはっきりとせず、ずっともやもやとしていたから、真剣に探ってみることにした。
一応の結論は、これである。

1.車番位置が低い。
2.次車にパンタがない。
3.自連であり、中間体箱がない。
4.クーラーが前方に寄っている。

3.4に関しては、7000系の一部にも言えることなので、つまり、1から4が複合的に混ざり合って一種独特の雰囲気を作っているのであろうということだ。
しかし、なにかまだ釈然としない思いが残っていた。もっと大きな原因があるのではないかということである。
そこでふと、7000は鋼製からアルミ製に変更されたこと、その際に車体幅が30mm拡張されていることに注目した。
わずか3センチの拡幅だが、見てくれにどのような差があるのだろうかということである。
意識してみると、明らかに違うではないか!
幅30mmの差ということもあるが、前面屋根端のR関係が明らかに違う。
幅以外の図面上の数字は知らないが、屋根中央および屋根端Rも違うからなのか、屋根中央Rは同じとして30mm拡幅のため屋根肩R位置が少し下がったからなのか?
下の2枚の写真を見比べてみよう。アルミ製7122と鋼製7100である。



比較のために撮ったものではないが、1/100秒差?くらいの偶然で、10分の時間差(連続の特急だから)、ほぼ同じ角度同じ位置で撮影している。
まず、7122のふっくら感がお分かりいただけるであろうか。確かにふっくらしているのに加え、屋根Rのこんもりナデ肩感。
もう一方、7100はどうか。7122に比して、スリムでしゃきっとしたイカリ肩的な屋根Rということがよく分かる。
5000と5100ほどの違いはないものの、である。
さらに言えば、屋上への前面ステップの位置を最上段で比較すると、7122は7100より下がっている。

まとめてみよう。6000.2200と鋼製7000の寸法は全て同じだろうと思う。
つまり、もうひとつの重大要因、

5.鋼製とアルミ 製では、幅30mmおよび屋根R関連が異なる。

これがなければ、6150の決定的雰囲気は出ないのだ。
1から5の要因すべてが揃ってこそ、6150の雰囲気なのである!
模型でこの差を忠実に出せるかな・・

2017年10月27日金曜日

腕木式方向指示器14

バイクや小型自動車に多く使われる小型機械式は有名メーカー以外にもかなりあり、興味は尽きませんが今となっては氷山の一角しか残ってないのでしょう。
今回のものもその一つで手元にある一本は指示矢が破損してて、セルロイドも無くなってますがケースは比較的綺麗です。


ネームプレートはSを大きくデザイン化したShinkoと読めます。
下のKUME-WORKSはメーカー名でしょう。


本体に指示矢のロック機構は無く、バネで下げ位置に戻すようになっているだけです。これはニッポーと同じくオペレーター側でロックする方式です。



電球の口金はネジ式(エジソンスクリューやエジソンベースと呼ぶらしい)自転車用腕木式以外で見るのは初めてです。振動で緩むおそれか自動車用腕木式方向指示器のJIS規格には適合しません。

背面下部の大きな丸穴は指示矢の緩衝ゴムが付いていたのでしょう。

ケース長さ約200mm、アポロやニッポーの小型とほぼ同寸です。






2017年10月15日日曜日

腕木式方向指示器13

JIS規格ではD5702に自動車用腕木式方向指示器の項目があり、写真の物は昭和32年改正版ですが、昭和26年10月31日に制定されてるようです。
D5702は昭和46年10月1日に廃止されてますが、その間何度か改正があったとおもわれます。



ネームプレートにも描かれてます。

本体に誇らしげにプレスされてるものも。

ニッポーの指示矢も認定後はJISマークの刻印が追加されてます。
アポロのネームプレートにもマークの表示はありますが、同時期の製品にも有無が混在してたり、後期の生産分には付いてなかったり、不明な点もあります。詳しい事情はわからないので、掘り下げるのはやめときましょう。



昭和29年頃の雑誌広告、JIS規格品を主張してますね、信頼の証なんでしょう。




細かい字が見えづらいかもしれませんが全文を掲載しときます。

腕木式方向指示器は昭和48年7月の運輸省令23号「従来の腕木式…中略…方向指示器は点滅式に統一する」で廃止されてますが「昭和48年11月以前の生産車両については腕木式方向指示器を認める」の一文もあり、今でもそれに該当する車種は腕木式のみでも車検に通ります。

2017年10月12日木曜日

腕木式方向指示器12

日産のネームプレートが付いてるアポロ製大型機械式です。
一般のアポロ製は背面に製造年月が刻印されてるのですが、これらには刻印が無く製造年不明です。
外見から推測すると、昭和27年以前の製造は間違いないでしょう。
カタカナ表記の方は背面に76、86と刻印がありますが、製造年月とは関係無いようです。



ローマ字表記の方は塗り重ねてますが、地色は共にカーキ色です。

キャップの裏面はオリジナル色が残ってます。
カタカナ表記とローマ字表記、新旧については判別しにくいですね。
戦前のニッサン80型トラックのカタログにはどちらも使われてます。昭和13年頃以降のカタログには時節柄かカタカナ表記になってます。
戦後、社紋としてはローマ
字に移行してますが、昭和30年代になってもカタログのニッサントラックなどの文字は独特の字体が使われてます。
           

2017年10月8日日曜日

腕木式方向指示器11

電気式の大半はソレノイドコイルを使ったものですが、モーターの正逆転を利用したものもあります。
メトロ工業が昭和28~38年に製造したもので、製造時期により指示矢の色やプレスの細部に違いがありますが、ケース長さ約230mmの同一タイプのみです。
アポロ大型よりやや小振りです。
電圧は6、12、24Vあります。
時代を感じさせる当時のパンフレット



上から下へと新しくなります。
緑色のも製品の地色は同じです。
写真では分かりにくいですが、初期のものはリブが中央にあります。
指示矢の色が赤からオレンジに移行するのは他社にも同じ傾向にあります。

細かく見ればキャップの長さも変化がありますが、時期的なものかは不明。

モーターの色は他にもあり、電圧とは無関係のようです。

駆動部はこんなんで、ギアボックスはカシメで密閉されてます。
圧着によるクラッチ機能があり、上げ下げ位置で急停止してもギアの歯が痛まないようになってます。


3ヶ所ある接点は指示矢側の接点と巧妙に接触し、指示矢の上げ下げ定位置の寸前に接触が外れモーターへの給電が止まって惰性で定位置に収まるようになってます。
ギアの抵抗力で、指示矢はそれぞれの位置に止まってます。
また、指示矢側の銅の丸い接点は上げ位置で通電して点灯するためのものです。



2017年9月22日金曜日

阪神の旧線跡 2/2

そして、さいきん、もう一箇所、気になる旧線跡を見つけました。
神戸市の春日野道付近地図上で気づいたのですが、概ね方眼の区画になっているなか、一部に斜めの道が走っています。
それを見たとき、神戸市内地上線だった時代、終点三宮駅の手前で線路が斜めにクランクしていたことを思い出しました。
生田川のちょっと東、春日野道-新生田川(新川、生田川との表記もあり)間です。照合すると、まさにぴったりその位置です。
いちおう現況も見ておくべきと、現地へ行ってみました。

目標の斜め道は、大安亭市場を横切っていることから、大安亭市場から接近することにしました。
意外なほどの活気と旧態に誘惑されながら南下し、到着しました。

細い路地です。北側の住宅地も線路敷地だったようです。

しばらく路地を進みます。

駐車場に当たり、すぐに東西の道路に合流します。

今来た方を振り返ります。
線路曲線の膨らみだったことが、歩道部分の幅の違いでよく分かります。

この急曲線を、ポール姿の1形〜831形あたりまでが、車輪きしませて行き交っていた!

ここから線路はまた西に向かい、生田川を渡ります。

もういちど市場に戻り、

市場から大阪方面を見ると、ここだけ、商店とマンションの境界線だけ、斜めになっています。
この先には痕跡はないようでした。

古い地図をみてみると、

阪神開業前の地図では、斜め道も、いちおう主要道のようです。
1895年発行

まだ開業前、区画整理で廃道になったのか、その道路は消えます。
1902年発行

阪神が開業、しかし当初、斜め区間は専用軌道のように描かれています。
廃道利用の軌道敷だったのかもしれません。
1913年発行

ここにきて、併用軌道として描かれるようになりました。道路の復活です。
1920年発行

路線変更し地下に潜り地上軌道は剥がされ、道だけになりました。
阪神急行はまだ予定線となっています。
1935年発行

そして現在、細い路地として生き延びています。
上記の経緯とおりだとしたら、阪神が敷かなければ、現在の斜め道もなかったのかもしれません。